2009-01-01から1年間の記事一覧

織部の茶道

古田織部の茶道には 「草庵の茶」と「式正織部流」の 二種類があるそうです。 草庵の茶は千利休の侘び茶の茶道 を継承し多少改善を加えたものあり 利休から学んだ茶道そのものと 言えます。 一方、式正織部流は織部が考案した 新しい茶道です。 豊臣秀吉の世…

総合デザイナー?古田織部

織部は茶道だけでわなく造園にも 携わっていたようで、 各地の庭園などに「織部灯篭」と 言われる灯篭存在しています。 例えば桂離宮にある24基の 石灯篭のうち7基が織部灯篭であり 織部は造園に対する知識も持ち合わせ 灯篭をデザインしていたようです。 織…

織部正叙位

古田織部は1585年秀吉が関白に任ぜられるとともに、 従五位、織部正(おりべのかみ)を叙位し、 山城国西ヶ洞3万5千石の城主となる。 つまり「織部」の名はこのときに賜ったもの なんですね。 織部の幼名は不明ですが 文献に最初に登場する名が「影安」 つ…

利休七哲(りきゅうしちてつ)

利休七哲とは利休の高弟をさす総称で、 後の世でつけられてものです。 七哲には 古田織部 細川忠興 芝山宗綱 瀬田正忠 蒲生氏郷 高山長房 牧村利貞 が挙げられています。 ほとんどが大名であり また七哲以外にも 多くの大名が利休を 師と仰ぎ学んでいたよう…

千利休の死

1591年秀吉は利休に境の自宅での蟄居(ちっきょ)を 命じます。 聚楽第の利休屋敷をでて船で境へ向かう利休を 古田織部と細川忠興の二名が見送ったそうです。 同年2月28日利休は切腹を命じられこの世を 去ります。 秀吉の権勢を恐れ誰も利休を見送らなかった…

千利休と古田織部

1582年山崎の合戦にて羽柴秀吉が 明智光秀を破った同年、秀吉をまじえた *待庵での茶会に関する利休の書簡に 古田左介(織部)の記述があり この頃には千利休に弟子入りしていた と言われています。 織部と利休との親密な師弟関係を 物語る証として「武蔵鐙…

武将古田織部

古田織部は1569年摂津茨木城主の中川清秀の妹と結婚しています。 1571年信長が15代将軍足利義昭を追放した年には 養父から山城国(現在の京都府南部)を継承し、 1575年には同国で代官を務めています。 1578年荒木村重の叛乱に際しては、 村重に組した義兄、…

多くの主君に仕える

古田織部は生誕以来多くの主君に仕えることとなる。 生まれた際の主家は土岐氏 土岐氏が斉藤道三に倒された後は斉藤家に仕え 後に織田家、豊臣家、徳川家と次々に 主君を変えることとなる。古田織部は1560年信長が桶狭間で今川義元を破った 同年に信長に仕え…

古田織部は美濃地方生まれ

古田織部は岐阜県美濃地方の生まれであるとの記述が 多くの文献に記載されているようですが 美濃のどこかかは分かりません。 但し古田織部の祖父が美濃国守護の土岐氏に仕え ていたことから美濃生まれであることは 間違いないようです。ちなみに土岐氏は源氏…

古田織部

美濃焼の代表的な器に「織部(オリベ)」があります。 この織部という名は安土・桃山時代に活躍した「古田織部(フルタオリベ)」という 茶人に由来するもので、現代では緑色の釉薬がかかった器を織部と呼ぶことが多い ですね。 でも実際には古田織部という…

仕上げ

カンナを使い削ったあとは 紙やすりやトクサという植物を使って 表面を滑らかにします。 ライトを当てながら細かな凹凸をならしていきます。 最後まで読んでくださりありがとうございます。 *ブログ運営者の関連サイト* ショッピングサイト:和食器通販の…

削り出し

石膏が程よく固まった時点で 回転盤を回転させながら 特殊な道具で石膏を削っていきます。 石膏があまり硬くなりすぎてない間に 出来るだけ荒削りをしておいて 硬くなってきたら精密に和食器の形を 削り出していきます。 辛抱強さの必要な作業です。 最後ま…

回転盤の上に石膏を流し込む

水と混ぜ合わせた液状の石膏は 石膏製の丸い回転盤の上に設置した 枠の中に流し込まれます。 円形の和食器などを製作する際は この回転盤が用いられ 回転させながら石膏を和食器の形に 削り出していきます。 最後まで読んでいただきありがとうございます。 …

トンネル窯

トンネル窯を紹介します。 写真は小型タイプのトンネル窯です。 入口から台車につまれた和食器が入っていき、出口から焼き上がって出てきます。 窯の火を止めずに連続して焼けるので大量に生産するのに適しています。最後まで読んで下さりありがとうございま…

石膏型の製作

石膏型を作る際に石膏の粉末と水を混ぜ合わせます。 でもそのままでは空気が入ってしまっているため 和食器の形の削り出す際に空気の泡が邪魔になります。 そこで先ず石膏と水をあわせたものを 真空攪拌機にかけて空気を抜きます。 石膏と水をあわせます。 …

窯の温度分布について

窯には温度計が設置されており、 1250℃とか1300℃であるとか窯の内部温度を知ることが出来ます。 でもこの温度は雰囲気の温度であり、 必ずしも窯全体の正確な温度を表しているわけではありません。 窯内部の場所によって温度が微妙に異なるからです。 この温…

電気窯を紹介します。

その名の通りガスではなく、電気を使って窯をあたため 和食器を焼き上げる窯です。 写真の電気窯は素焼をするために用いられていますが、 和食器を本焼成することもできますし 上絵の窯にも用いられます。写真をみると窯の内部に電熱線が張り巡らされている…

窯への和食器の積み上げ方

和食器を窯に積み上げる方法の一つに棚板を用いる方法があります。棚板の上に和食器を乗せ、棚板を重ねていきます。この積み上げ方により、様々な形状の和食器を一度に窯に収めることができます。最後まで読んで下さりありがとうございます。 *ブログ運営者…

窯への積み上げ方

和食器を窯に積み上げる方法の一つに、エンゴロと言われる容器に和食器を入れ積み上げる方法があります。ほぼ同じ形の和食器を効率よく窯に入れることができます。写真をみると容器のなかに和食器が収められていることが分かります。最後まで読んで下さりあ…

熱電対

窯の扉の内側には熱電対を用いた温度計が設置されています。写真の白い棒状のものが温度計で、接続されているデジタル表示器に温度が表示されます。温度計の設置位置は窯によって違いますので、必ずしも扉の内側にあるわけではありません。1000度以上の温度…

バーナー

窯のバーナー部です。窯の両側にいくつもならんだ開口部からバーナーが炊かれ窯の温度を上げていきます。バーナーの燃料にはLPガスや重油が使われます。最後まで読んで下さりありがとうございます。 *ブログ運営者の関連サイト* ショッピングサイト:和食…

窯の内部

窯の内部を紹介します。窯のなかは耐火レンガがぎっしり張りめぐらされています。耐火レンガには熱に耐えると共に熱を遮断する効果があります。1200〜1300度という高温に何百回とさらされるのですからいかに丈夫なレンガであるかがわかりますね。その丈夫な…

写真の窯はシャットル窯といわれる窯です。

窯の大きさは「りゅうべい」(立法メートル)で表されます。この中に台車に積み上げあられた和食器を台車ごと収納し 焼成を行います。焼成方法は「酸化」「還元」の二種類があり、 酸化は窯の中に空気(酸素)を積極的に取り入れ 粘土や釉薬を酸化させて焼き…

台車

和食器を1100〜1300度で焼き上げることを焼成と呼びます。焼成時には和食器を台車に乗せて窯のなかに入れます。写真は台車に和食器を乗せた状態のものですが和食器は「エンゴロ」と言われる円柱状の容器に入れられ、高く積み上げられているため見えません。…

乾燥

成形や施釉をした和食器を短時間に乾燥させる場合には、室でバーナーであぶることで強制的に乾燥させます。写真は床に設置したバーナーで室を熱しています。最後まで読んで下さりありがとうございます。 *ブログ運営者の関連サイト* ショッピングサイト:…

釉薬の濃度

釉薬の濃度は比重計を用いて計ります。比重計の中間には浮のような丸い部分があり、比重計が釉薬にどれだけ沈むかによって濃度を計ります。単位は「度」で、40度、50度などと呼びます。濃度は釉薬や表現方法、窯によって様々あり、同じ釉薬であってもまちま…

釉薬と水

釉薬はバケツのなかで泥状になっています。ただし2日程度放置すると写真のように水と完全に分離してしまいます。また水となじませるためによく混ぜ合わせないと施釉の際に和食器に施した釉薬がむらになってしまいます。水分量の少ない濃い釉薬だと短時間で…

バケツの中の釉薬の状態を紹介します。

釉薬は和食器の表面のツルツルとしたガラス質の部分を作り出す「シリカ」という鉱物や、 さまざまな色を作り出す「銅」や「鉄」などの鉱物の粉黛(粒子に)によって形成されています。つまり鉱物の粉末に水分を加えたものが「釉薬」といわれるものになります…

施釉(せゆう)

施釉(せゆう) 素焼きした和食器に釉薬を施すことを施釉といいます。釉薬は和食器の表面を覆うツルツルとした部分のことです。写真は最も一般的な施釉方法で、釉薬を入れたバケツに素焼きを浸す、デッピングという手法です。釉薬のなかに浸す時間や釉薬の濃…

乾燥

乾燥工程を紹介します。粘土を和食器に成形した後や釉薬を施したあとは乾燥する必要があります。今回紹介するのは窯元の工場内の熱を利用した乾燥方法です。工場のなか、特に高いところには常に窯の熱がこもっています。写真のゴンドラは、ゴンドラに製品を…