武将古田織部

古田織部は1569年摂津茨木城主の中川清秀の妹と結婚しています。
1571年信長が15代将軍足利義昭を追放した年には
養父から山城国(現在の京都府南部)を継承し、
1575年には同国で代官を務めています。
1578年荒木村重の叛乱に際しては、
村重に組した義兄、中川清秀を誘降させるなど
交渉力も発揮しています。
1582年本能寺の変で信長が没した際には
秀吉と共に明智光秀を討ち果たしています。
大阪夏の陣・冬の陣には徳川方として
参戦していますが、茶の湯を通じ
幅広い人脈をもっていた織部を危険視した
家康に豊臣方への内通の嫌疑をかけられ
1615年切腹に追いやられています。

古田織部の師である千利休も秀吉により
自刃させられていて、
奇しくも師弟で同じような運命を
辿ったようです。

茶の湯を愛した織部でしたが
最後は武人として死なざる
を得なかったのですね。

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