多くの主君に仕える
古田織部は生誕以来多くの主君に仕えることとなる。
生まれた際の主家は土岐氏
土岐氏が斉藤道三に倒された後は斉藤家に仕え
後に織田家、豊臣家、徳川家と次々に
主君を変えることとなる。
古田織部は1560年信長が桶狭間で今川義元を破った
同年に信長に仕えているなど
時代の大きな変動を常に間近で
目の当たりにしています。
ちなみにこの年、信長は27歳
織部は17歳でした。
古田織部は使番(味方への伝令や敵方への使者を務める役)
として仕えていたようで
敵方の武将を調略し誘降させたりもしていました。
戦わずして敵を調略するほど
頭が切れる人物だったようです。
現代では茶人あるいは織部焼の生みの親としての
顔が広く世間では知られていますが
名だたる武将と共に戦国の世を駆け抜けた、一武将だったのですね。
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